ん》は此《ここ》に存するというのである。抽斎はいつもその跡で言い足した。しかし顔淵の好処《こうしょ》は啻《ただ》にこれのみではない。「回之為人也《かいのひととなりや》、択乎中庸《ちゅうようをえらび》、得一善《いちぜんをうれば》、則拳拳服膺《すなわちけんけんふくようして》、而弗失之矣《これをうしなわず》」というのがこれである。孔子が子貢《しこう》にいった語に、顔淵を賞して、「吾与汝《われとなんじと》、弗如也《しかざるなり》」といったのも、これがためであるといった。
 抽斎はかつていった。「為政以徳《まつりごとをなすにとくをもってすれば》、譬如北辰《たとえばほくしんの》、居其所《そのところにいて》、而衆星共之《しゅうせいのこれにむかうがごとし》」というのは、独《ひとり》君道を然《しか》りとなすのみではない。人は皆|奈何《いかに》したら衆星が己《おのれ》に共《むか》うだろうかと工夫しなくてはならない。能《よ》くこれを致すものは即ち「※[#「挈」の「手」に代えて「糸」、第3水準1−90−4]矩之道《けっくのみち》」である。韓退之《かんたいし》は「其責己也重以周《そのおのれをせむるやおもくしても
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