出来るものと信じていた。抽斎は眼疾を知らない。歯痛を知らない。腹痛は幼い時にあったが、壮年に及んでからは絶《たえ》てなかった。しかし虎列拉《コレラ》の如き細菌の伝染をば奈何《いかん》ともすることを得なかった。
 抽斎は自ら戒め人を戒むるに、しばしば沢山咸《たくざんかん》の「九四爻《きゅうしこう》」を引いていった。学者は仔細《しさい》に「憧憧往来《しょうしょうとしておうらいすれば》、朋従爾思《ともはなんじのおもいにしたがう》」という文を味《あじわ》うべきである。即ち「君子素其位而行《くんしはそのくらいにそしておこない》、不願乎其外《そのほかをねがわず》」の義である。人はその地位に安んじていなくてはならない。父|允成《ただしげ》がおる所の室《しつ》を容安室《ようあんしつ》と名づけたのは、これがためである。医にして儒を羨《うらや》み、商にして士を羨むのは惑えるものである。「天下何思何慮《てんかなにをかおもいなにをかおもんぱからん》、天下同帰而殊塗《てんかきをおなじくしてみちをことにし》、一致而百慮《ちをいつにしてりょをひゃくにす》」といい、「日往則月来《ひゆけばすなわちつききたり》、月往則日
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