が記述に与《あずか》ったことは既にいえるが如くである。抽斎の考証学の一面はこの二書が代表している。徐承祖《じょしょうそ》が『訪古志』に序して、「大抵論繕写刊刻之工《たいていはぜんしゃかんこくのこうをろんじ》、拙於考証《こうしょうにつたなく》、不甚留意《はなはだしくはりゅういせず》」といっているのは、我国において初《はじめ》て手を校讐《こうしゅう》の事に下《くだ》した抽斎らに対して、備わるを求むることの太《はなは》だ過ぎたるものではなかろうか。
 我国における考証学の系統は、海保漁村に従えば、吉田篁※[#「土へん+敦」、第3水準1−15−63]《よしだこうとん》が首唱し、狩谷|※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎《えきさい》がこれに継いで起り、以て抽斎と枳園とに及んだものである。そして篁※[#「土へん+敦」、第3水準1−15−63]の傍系には多紀桂山があり、※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の傍系には市野迷庵、多紀|※[#「くさかんむり/頤のへん」、第4水準2−86−13]庭《さいてい》、伊沢蘭軒、小島宝素《こじまほうそ》があり、抽斎と枳園との傍系には多紀暁湖、伊沢柏軒
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