寡婦孤児として受くべき侮《あなどり》を防ぎ、無用の費《ついえ》を節し、安んじて子女の成長するのを待つことが出来ようといったのである。

   その五十四

 比良野貞固は抽斎の遺族を自邸に迎えようとして、五百に説いた。しかしそれは五百を識《し》らぬのであった。五百は人の廡下《ぶ》に倚《よ》ることを甘んずる女ではなかった。渋江一家の生計は縮小しなくてはならぬこと勿論《もちろん》である。夫の存命していた時のように、多くの奴婢《ぬひ》を使い、食客《しょっかく》を居《お》くことは出来ない。しかし譜代の若党や老婦にして放ち遣るに忍びざるものもある。寄食者の中《うち》には去らしめようにも往《ゆ》いて投ずべき家のないものもある。長尾氏の遺族の如きも、もし独立せしめようとしたら、定めて心細く思うことであろう。五百は己《おのれ》が人に倚《よ》らんよりは、人をして己に倚らしめなくてはならなかった。そして内に恃《たの》む所があって、敢《あえ》て自らこの衝《しょう》に当ろうとした。貞固の勧誘の功を奏せなかった所以《ゆえん》である。
 森|枳園《きえん》はこの年十二月五日に徳川|家茂《いえもち》に謁した。寿蔵碑
前へ 次へ
全446ページ中207ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング