うからである。
この年|前《さき》に貶黜《へんちつ》せられた抽斎の次男矢島|優善《やすよし》は、纔《わずか》に表医者《おもていしゃ》介《すけ》を命ぜられて、半《なかば》その位地を回復した。優善の友塩田|良三《りょうさん》は安積艮斎《あさかごんさい》の塾に入れられていたが、或日師の金百両を懐《ふところ》にして長崎に奔《はし》った。父楊庵は金を安積氏に還《かえ》し、人を九州に遣《や》って子を連れ戻した。良三はまだ残《のこり》の金を持っていたので、迎えに来た男を随《したが》えて東上するのに、駅々で人に傲《おご》ること貴公子の如くであった。この時肥後国熊本の城主細川越中守|斉護《なりもり》の四子|寛五郎《のぶごろう》は、津軽|順承《ゆきつぐ》の女壻《じょせい》にせられて東上するので、途中良三と旅宿を同じうすることがあった。斉護は子をして下情《かじょう》に通ぜしめんことを欲し、特に微行を命じたので、寛五郎と従者とは始終質素を旨としていた。驕子《きょうし》良三は往々五十四万石の細川家から、十万石の津軽家に壻入する若殿を凌《しの》いで、旅中|下風《かふう》に立っている少年の誰《たれ》なるかを知らず
前へ
次へ
全446ページ中197ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング