抽斎の七男|成善《しげよし》が七月二十六日を以て生れた。小字《おさなな》は三吉《さんきち》、通称は道陸《どうりく》である。即ち今の保《たもつ》さんで、父は五十三歳、母は四十二歳の時の子である。
 成善の生れた時、岡西玄庵が胞衣《えな》を乞いに来た。玄庵は父玄亭に似て夙慧《しゅくけい》であったが、嘉永三、四年の頃|癲癇《てんかん》を病んで、低能の人と化していた。天保六年の生《うまれ》であったから、病を発したのが十六、七歳の時で、今は二十三歳になっている。胞衣を乞うのは、癲癇の薬方《やくほう》として用いんがためであった。
 抽斎夫婦は喜んでこれに応じたので、玄庵は成善の胞衣を持って帰った。この時これを惜んで一夜《ひとよ》を泣き明したのは、昔抽斎の父|允成《ただしげ》の茶碗の余瀝《よれき》を舐《ねぶ》ったという老尼|妙了《みょうりょう》である。妙了は年久しく渋江の家に寄寓していて、毎《つね》に小児《しょうに》の世話をしていたが、中にも抽斎の三女|棠《とう》を愛し、今また成善の生れたのを見て、大いにこれを愛していた。それゆえ胞衣を玄庵に与えることを嫌った。俗説に胞衣を人に奪われた子は育たぬとい
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