栄玄が饌《ぜん》に対して奢侈《しゃし》を戒めたことが数次であったからである。抽斎は遺られた所の海※[#「魚+連」、第4水準2−93−72]を饗《きょう》することを命じた。栄玄は来て饗を受けたが、色《いろ》悦ばざるものの如く、遂に「客にこんな馳走《ちそう》をすることは、わたしの内《うち》ではない」といった。五百が「これはお持たせでございます」といったが、栄玄は聞えぬふりをしていた。調理法が好過《よす》ぎたのであろう。
 尤《もっと》も抽斎をして不平に堪えざらしめたのは、栄玄が庶子|苫《とま》を遇することの甚だ薄かったことである。苫は栄玄が厨下《ちゅうか》の婢《ひ》に生せた女《むすめ》である。栄玄はこれを認めて子としたのに、「あんなきたない子は畳の上には置かれない」といって、板の間《ま》に蓙《ござ》を敷いて寝させた。当時栄玄の妻は既に歿していたから、これは河東《かとう》の獅子吼《ししく》を恐れたのではなく、全く主人の性癖のためであった。抽斎は五百に議《はか》って苫を貰い受け、後|下総《しもうさ》の農家に嫁せしめた。
 栄玄の子で、父に遅るること僅《わずか》に四月《しげつ》にして歿した玄亭は
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