になっていた。抽斎は彼《か》の終始|濂渓《れんけい》の学を奉じていた艮斎とは深く交らなかったのに、これに良三を託したのは、良三の吏材《りさい》たるべきを知って、これを培養することを謀《はか》ったのであろう。
 抽斎の先妻徳の里方《さとかた》岡西氏では、この年七月二日に徳の父栄玄が歿し、次いで十一月十一日に徳の兄玄亭が歿した。
 栄玄は医を以て阿部家に仕えた。長子玄亭が蘭軒門下の俊才であったので、抽斎はこれと交《まじわり》を訂し、遂にその妹徳を娶《めと》るに至ったのである。徳の亡くなった後《のち》も、次男優善がその出《しゅつ》であるので、抽斎|一家《いっけ》は岡西氏と常に往来していた。
 栄玄は樸直《ぼくちょく》な人であったが、往々性癖のために言行の規矩《きく》を踰《こ》ゆるを見た。かつて八文の煮豆を買って鼠不入《ねずみいらず》の中に蔵し、しばしばその存否を検したことがある。また或日|海※[#「魚+連」、第4水準2−93−72]《ぶり》一尾を携え来って、抽斎に遺《おく》り、帰途に再び訪《と》わんことを約して去った。五百はために酒饌《しゅぜん》を設けようとして頗《すこぶ》る苦心した。それは
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