だかた》は、抽斎のこの議を唱うるを聞いて、馳《は》せ来《きた》って論難した。議|善《よ》からざるにあらずといえども、江戸に生れ江戸に長じたる士人とその家族とをさえ、悉《ことごと》く窮北の地に遷《うつ》そうとするは、忍べるの甚しきだというのである。抽斎は貞固の説を以て、情に偏し義に失するものとなして聴かなかった。貞固はこれがために一時抽斎と交《まじわり》を絶つに至った。
この頃|国勝手《くにがって》の議に同意していた人々の中《うち》、津軽家の継嗣問題のために罪を獲たものがあって、彼《かの》議を唱えた抽斎らは肩身の狭い念《おもい》をした。継嗣問題とは当主|順承《ゆきつぐ》が肥後国熊本の城主細川越中守|斉護《なりもの》の子|寛五郎《のぶごろう》承昭《つぐてる》を養おうとするに起った。順承は女《むすめ》玉姫《たまひめ》を愛して、これに壻を取って家を護ろうとしていると、津軽家下屋敷の一つなる本所|大川端《おおかわばた》邸が細川邸と隣接しているために、斉護と親しくなり、遂に寛五郎を養子に貰《もら》い受けようとするに至った。罪を獲た数人は、血統を重んずる説を持して、この養子を迎うることを拒もうとし
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