の多事の時に方《あた》って、二、三の有力者に託するに藩の大事を以てし、これに掣肘《せいちゅう》を加うることなく、当主を輔佐して臨機の処置に出《い》でしむるを有利とするからである。由来弘前藩には悪習慣がある。それは事あるごとに、藩論が在府党と在国党とに岐《わか》れて、荏苒《じんぜん》決せざることである。甚だしきに至っては、在府党は郷国の士を罵《ののし》って国猿《くにざる》といい、その主張する所は利害を問わずして排斥する。此《かく》の如きは今の多事の時に処する所以《ゆえん》の道でないというのである。
この議は同時に二、三主張するものがあって、是非の論が盛《さかん》に起った。しかし後にはこれに左袒《さたん》するものも多くなって、順承が聴納《ていのう》しようとした。浜町の隠居信順がこれを見て大いに怒《いか》った。信順は平素国猿を憎悪することの尤《もっと》も甚《はなはだ》しい一人《いちにん》であった。
この議に反対したものは、独《ひとり》浜町の隠居のみではなかった。当時江戸にいた藩士の殆《ほとん》ど全体は弘前に往《ゆ》くことを喜ばなかった。中にも抽斎と親善《しんぜん》であった比良野|貞固《さ
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