し、渋江氏の世話を受けることになったのである。五百は怨《うらみ》に報ゆるに恩を以てして、牧の老《おい》を養うことを許した。
その四十九
安政三年になって、抽斎は再び藩の政事に喙《くちばし》を容《い》れた。抽斎の議の大要はこうである。弘前藩は須《すべから》く当主|順承《ゆきつぐ》と要路の有力者数人とを江戸に留《とど》め、隠居|信順《のぶゆき》以下の家族及家臣の大半を挙げて帰国せしむべしというのである。その理由の第一は、時勢既に変じて多人数《たにんず》の江戸|詰《づめ》はその必要を認めないからである。何故《なにゆえ》というに、原《もと》諸侯の参勤、及これに伴う家族の江戸における居住は、徳川家に人質を提供したものである。今将軍は外交の難局に当って、旧慣を棄《す》て、冗費を節することを謀《はか》っている。諸侯に土木の手伝《てつだい》を命ずることを罷《や》め、府内を行くに家に窓蓋《まどぶた》を設《もうく》ることを止《とど》めたのを見ても、その意向を窺《うかが》うに足る。縦令《たとい》諸侯が家族を引き上げたからといって、幕府は最早《もはや》これを抑留することはなかろう。理由の第二は、今
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