、順承はこれを迎うるに決したからである。即ち側用人《そばようにん》加藤清兵衛、用人兼松|伴大夫《はんたゆう》は帰国の上《うえ》隠居謹慎、兼松三郎は帰国の上|永《なが》の蟄居《ちっきょ》を命ぜられた。
石居《せききょ》即ち兼松三郎は後に夢醒《むせい》と題して七古《しちこ》を作った。中《うち》に「又憶世子即世後《またおもうせいしそくせいののち》、継嗣未定物議伝《けいしいまださだまらずぶつぎつたう》、不顧身分有所建《みぶんをかえりみずけんずるところあり》、因冒譴責坐北遷《よりてけんせきをおかしてほくせんにざす》」の句がある。その咎《とがめ》を受けて江戸を発する時、抽斎は四言十二句を書して贈った。中に「菅公遇譖《かんこうたまたまそしられ》、屈原独清《くつげんはひとりきよし》、」という語があった。
この年抽斎の次男矢島|優善《やすよし》は、遂に素行修まらざるがために、表医者《おもていしゃ》を貶《へん》して小普請《こぶしん》医者とせられ、抽斎もまたこれに連繋《れんけい》して閉門|三日《さんじつ》に処せられた。
その五十
優善の夥伴《なかま》になっていた塩田|良三《りょうさん》は、父
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