わたくしは来意を陳《の》べた。「武鑑」を蒐集している事、「古《こ》武鑑」に精通していた無名の人の著述が写本で伝わっている事、その無名の人は自ら抽斎と称している事、その写本に弘前の渋江という人の印がある事、抽斎と渋江とがもしや同人ではあるまいかと思っている事、これだけの事をわたくしは簡単に話して、外崎さんに解決を求めた。

   その六

 外崎《とのさき》さんの答は極めて明快であった。「抽斎というのは『経籍訪古志』を書いた渋江道純の号ですよ。」
 わたくしは釈然とした。
 抽斎渋江道純は経史子集《けいしししゅう》や医籍を渉猟して考証の書を著《あらわ》したばかりでなく、「古武鑑」や古江戸図をも蒐集して、その考証の迹《あと》を手記して置いたのである。上野の図書館にある『江戸鑑図目録』は即《すなわ》ち「古武鑑」古江戸図の訪古志である。惟《ただ》経史子集は世の重要視する所であるから、『経籍訪古志』は一の徐承祖《じょしょうそ》を得て公刊せられ、「古武鑑」や古江戸図は、わたくしどもの如き微力な好事家《こうずか》が偶《たまたま》一顧するに過ぎないから、その目録は僅《わずか》に存して人が識《し》らずに
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