し来《きた》って、強いて学者の身に薄《せま》ったなら、学者がその学問生活を抛《なげう》って起《た》つこともあろう。しかしその背面には学問のための損失がある。研鑽はここに停止してしまうからである。
わたくしは安政二年に抽斎が喙《かい》を時事に容《い》るるに至ったのを見て、是《かく》の如き観をなすのである。
その四十六
米艦が浦賀《うらが》に入《い》ったのは、二年|前《ぜん》の嘉永六年六月三日である。翌安政元年には正月に艦《ふね》が再び浦賀に来て、六月に下田《しもだ》を去るまで、江戸の騒擾《そうじょう》は名状すべからざるものがあった。幕府は五月九日を以て、万石以下の士に甲冑《かっちゅう》の準備を令した。動員の備《そなえ》のない軍隊の腑甲斐《ふがい》なさが覗《うかが》われる。新将軍|家定《いえさだ》の下《もと》にあって、この難局に当ったのは、柏軒、枳園らの主侯阿部正弘である。
今年《こんねん》に入《い》ってから、幕府は講武所を設立することを令した。次いで京都から、寺院の梵鐘《ぼんしょう》を以て大砲小銃を鋳造すべしという詔《みことのり》が発せられた。多年古書を校勘して寝食を忘れ
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