既にして岡本氏の家衰えて、畑成文《はたせいぶん》に託してこの巻《まき》を沽《う》ろうとした。成文は錦小路《にしきこうじ》中務権少輔《なかつかさごんしょうゆう》頼易《よりおさ》に勧めて元本を買わしめ、副本はこれを己《おのれ》が家に留《とど》めた。錦小路は京都における丹波氏の裔《えい》である。
岡本氏の『医心方』一巻は、此《かく》の如くにして伝わっていた。そして校刻の時に至って対照の用に供せられたようである。
この年正月二十五日に、森枳園が躋寿館講師に任ぜられて、二月二日から登館した。『医心方』校刻の事の起ったのは、枳園が教職に就《つ》いてから十カ月の後《のち》である。
抽斎の家族はこの年主人五十歳、五百《いお》三十九歳、陸《くが》八歳、水木《みき》二歳、専六生れて一歳の五人であった。矢島氏を冒した優善《やすよし》は二十歳になっていた。二年|前《ぜん》から寄寓《きぐう》していた長尾氏の家族は、本町二丁目の新宅に移った。
安政二年が来た。抽斎の家の記録は先ず小さき、徒《あだ》なる喜《よろこび》を誌《しる》さなくてはならなかった。それは三月十九日に、六男|翠暫《すいざん》が生れたこと
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