《あいじゃく》する縁故があるからである。
 戴曼公は書法を高天※[#「さんずい+猗」、第3水準1−87−6]《こうてんい》に授けた。天※[#「さんずい+猗」、第3水準1−87−6]、名は玄岱《げんたい》、初《はじめ》の名は立泰《りゅうたい》、字《あざな》は子新《ししん》、一の字《あざな》は斗胆《とたん》、通称は深見新左衛門《ふかみしんざえもん》で、帰化|明人《みんひと》の裔《えい》である。祖父|高寿覚《こうじゅかく》は長崎に来て終った。父|大誦《たいしょう》は訳官になって深見氏を称した。深見は渤海《ぼっかい》である。高氏は渤海より出《い》でたからこの氏を称したのである。天※[#「さんずい+猗」、第3水準1−87−6]は書を以て鳴ったもので、浅草寺《せんそうじ》の施無畏《せむい》の※[#「匸<扁」、第4水準2−3−48]額《へんがく》の如きは、人の皆知る所である。享保七年八月八日に、七十四歳で歿した。その曼公に書を学んだのは、十余歳の時であっただろう。天※[#「さんずい+猗」、第3水準1−87−6]の子が頤斎《いさい》である。頤斎の弟子《ていし》が峩斎《がさい》である。峩斎の孫が東堂であ
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