おつきにょでん》さんに語ったという一の事実があって、これが証に充《み》つるに足るのである。
 この事は前《さき》の日わたくしが池田|京水《けいすい》の墓と年齢とを文彦さんに問いに遣《や》った時、如電さんがかつて手記して置いたものを抄写して、文彦さんに送り、文彦さんがそれをわたくしに示した。わたくしは池田氏の事を問うたのに、何故《なにゆえ》に如電さんは平井氏の事を以て答えたか。それには理由がある。平井東堂の置いた質《しち》が流れて、それを買ったのが、池田京水の子|瑞長《ずいちょう》であったからである。

   その四十二

 東堂が質に入れたのは、銅仏|一躯《いっく》と六方印《ろくほういん》一顆《いっか》とであった。銅仏は印度《インド》で鋳造した薬師如来《やくしにょらい》で、戴曼公《たいまんこう》の遺品である。六方印は六面に彫刻した遊印《ゆういん》である。
 質流《しちながれ》になった時、この仏像を池田瑞長が買った。然《しか》るに東堂は後《のち》金が出来たので、瑞長に交渉して、価《あたい》を倍して購《あがな》い戻そうとした。瑞長は応ぜなかった。それは平井氏も、池田氏も、戴曼公の遺品を愛惜
前へ 次へ
全446ページ中160ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング