めずに往ったのに、飯田さんは快《こころよ》く引見《いんけん》して、わたくしの問に答えた。飯田さんは渋江|道純《どうじゅん》を識《し》っていた。それは飯田さんの親戚《しんせき》に医者があって、その人が何か医学上にむずかしい事があると、渋江に問いに往《ゆ》くことになっていたからである。道純は本所《ほんじょ》御台所町《おだいどころちょう》に住んでいた。しかし子孫はどうなったか知らぬというのである。
その五
わたくしは飯田さんの口から始めて道純という名を聞いた。これは『経籍訪古志』の序に署してある名である。しかし道純が抽斎と号したかどうだか飯田さんは知らなかった。
切角《せっかく》道純を識《し》っていた人に会ったのに、子孫のいるかいないかもわからず、墓所を問うたつきをも得ぬのを遺憾に思って、わたくしは暇乞《いとまごい》をしようとした。その時飯田さんが、「ちょいとお待《まち》下さい、念のために妻《さい》にきいて見ますから」といった。
細君《さいくん》が席に呼び入れられた。そしてもし渋江道純の跡がどうなっているか知らぬかと問われて答えた。「道純さんの娘さんが本所|松井町《まついちょ
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