しめた。
 目見は此《かく》の如く世の人に重視せられる習《ならい》であったから、この栄を荷《にな》うものは多くの費用を弁ぜなくてはならなかった。津軽家では一カ年間に返済すべしという条件を附して、金三両を貸したが、抽斎は主家の好意を喜びつつも、殆《ほとん》どこれを何の費《ついえ》に充《あ》てようかと思い惑った。
 目見をしたものは、先ず盛宴を開くのが例になっていた。そしてこれに招くべき賓客《ひんかく》の数《すう》もほぼ定まっていた。然るに抽斎の居宅には多く客《かく》を延《ひ》くべき広間がないので、新築しなくてはならなかった。五百《いお》の兄忠兵衛が来て、三十両の見積《みつもり》を以て建築に着手した。抽斎は銭穀《せんこく》の事に疎《うと》いことを自知していたので、商人たる忠兵衛の言うがままに、これに経営を一任した。しかし忠兵衛は大家《たいけ》の若檀那《わかだんな》上《あが》りで、金を擲《なげう》つことにこそ長じていたが、※[#「革+斤」、第3水準1−93−77]《おし》んでこれを使うことを解せなかった。工事いまだ半《なかば》ならざるに、費す所は既に百数十両に及んだ。
 平生《へいぜい》金銭
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