この有様を夫に話すと、抽斎は栄次郎の同窓で、妻の姉壻たる宗右衛門の身の上を気遣《きづか》って、わざわざ横山町へ諭《さと》しに往った。宗右衛門は大いに慙《は》じて、やや産業に意を用いるようになった。
その三十六
森|枳園《きえん》は大磯で医業が流行するようになって、生活に余裕も出来たので、時々江戸へ出た。そしてその度ごとに一週間位は渋江の家に舎《やど》ることになっていた。枳園の形装《ぎょうそう》は決してかつて夜逃《よにげ》をした土地へ、忍びやかに立ち入る人とは見えなかった。保《たもつ》さんの記憶している五百《いお》の話によるに、枳園はお召縮緬《めしちりめん》の衣《きもの》を着て、海老鞘《えびざや》の脇指《わきざし》を差し、歩くに褄《つま》を取って、剥身絞《むきみしぼり》の褌《ふんどし》を見せていた。もし人がその七代目|団十郎《だんじゅうろう》を贔屓《ひいき》にするのを知っていて、成田屋《なりたや》と声を掛けると、枳園は立ち止まって見えをしたそうである。そして当時の枳園はもう四十男であった。尤《もっと》もお召縮緬を着たのは、強《あなが》ち奢侈《しゃし》と見るべきではあるまい。一
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