は前の浜照《はまてる》であった。そして忠兵衛は遂に浜照を落籍させて妻《さい》にした。尋《つ》いで弘化三年十一月二十二日に至って、忠兵衛は隠居して、日野屋の家督を僅《わずか》に二歳になった抽斎の三女|棠《とう》に相続させ、自分は金座《きんざ》の役人の株を買って、広瀬栄次郎と名告《なの》った。
五百の姉安を娶《めと》った長尾宗右衛門は、兄の歿した跡を襲《つ》いでから、終日|手杯《てさかずき》を釈《お》かず、塗物問屋《ぬりものどいや》の帳場は番頭に任せて顧みなかった。それを温和に過ぐる性質の安は諌《いさ》めようともしないので、五百は姉を訪うてこの様子を見る度にもどかしく思ったが為方《しかた》がなかった。そういう時宗右衛門は五百を相手にして、『資治通鑑《しじつがん》』の中の人物を評しなどして、容易に帰ることを許さない。五百が強いて帰ろうとすると、宗右衛門は安の生んだお敬《けい》お銓《せん》の二人の女《むすめ》に、おばさんを留めいという。二人の女は泣いて留める。これはおばの帰った跡で家が寂しくなるのと、父が不機嫌になるのとを憂えて泣くのである。そこで五百はとうとう帰る機会を失うのである。五百が
前へ
次へ
全446ページ中136ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング