でも、衣服を欲するごとに五百に請うので、お勝《かつ》さんはわたしの支度を無尽蔵だと思っているらしいといって、五百が歎息したことがある。
五百の来り嫁した時、抽斎の家族は主人夫婦、長男|恒善《つねよし》、長女|純《いと》、次男|優善《やすよし》の五人であったが、間もなく純は出《い》でて馬場氏の婦《ふ》となった。
弘化二年から嘉水元年までの間、抽斎が四十一歳から四十四歳までの間には、渋江氏の家庭に特筆すべき事が少《すくな》かった。五百の生んだ子には、弘化二年十一月二十六日|生《うまれ》の三女|棠《とう》、同三年十月十九日生れの四男|幻香《げんこう》、同四年十月八日生れの四女|陸《くが》がある。四男は死んで生れたので、幻香水子《げんこうすいし》はその法諡《ほうし》である。陸は今の杵屋勝久《きねやかつひさ》さんである。嘉永元年十二月二十八日には、長男|恒善《つねひさ》が二十三歳で月並《つきなみ》出仕を命ぜられた。
五百《いお》の里方《さとかた》では、先代忠兵衛が歿してから三年ほど、栄次郎の忠兵衛は謹慎していたが、天保十三年に三十一歳になった頃から、また吉原へ通いはじめた。相方《あいかた》
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