好《い》い。しかし大名の家では奥方に仕えずに殿様に仕えるというに過ぎない。祐筆は日記を附けたり、手紙を書いたりする役である。
五百は呼名は挿頭《かざし》と附けられた。後に抽斎に嫁することに極まって、比良野氏の娘分にせられた時、翳《かざし》の名を以て届けられたのは、これを襲用したのである。さて暫く勤めているうちに、武芸の嗜《たしなみ》のあることを人に知られて、男之助《おとこのすけ》という綽名《あだな》が附いた。
藤堂家でも他家と同じように、中臈は三室《さんしつ》位に分たれた部屋に住んで、女|二人《ににん》を使った。食事は自弁であった。それに他家では年給三十両内外であるのに、藤堂家では九両であった。当時の武家奉公をする女は、多く俸銭を得ようと思っていたのではない。今の女が女学校に往《ゆ》くように、修行をしに往くのである。風儀の好さそうな家を択んで仕えようとした五百《いお》なぞには、給料の多寡は初《はじめ》より問う所でなかった。
修行は金を使ってする業《わざ》で、金を取る道は修行ではない。五百なぞも屋敷住いをして、役人に物を献じ、傍輩《ほうばい》に饗応《きょうおう》し、衣服調度を調《と
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