との》え、下女《げじょ》を使って暮すには、父忠兵衛は年《とし》に四百両を費したそうである。給料は三十両|貰《もら》っても九両貰っても、格別の利害を感ぜなかったはずである。
五百は藤堂家で信任せられた。勤仕いまだ一年に満たぬのに、天保二年の元日には中臈|頭《がしら》に進められた。中臈頭はただ一人しか置かれぬ役で、通例二十四、五歳の女が勤める。それを五百は十六歳で勤めることになった。
その三十三
五百《いお》は藤堂家に十年間奉公した。そして天保十年に二十四歳で、父忠兵衛の病気のために暇《いとま》を取った。後に夫となるべき抽斎は五百が本丸にいた間、尾島氏|定《さだ》を妻とし、藤堂家にいた間、比良野氏|威能《いの》、岡西氏|徳《とく》を相踵《あいつ》いで妻としていたのである。
五百の藤堂家を辞した年は、父忠兵衛の歿した年である。しかし奉公を罷《や》めた頃は、忠兵衛はまだ女《むすめ》を呼び寄せるほどの病気をしてはいなかった。暇《いとま》を取ったのは、忠兵衛が女を旅に出すことを好まなかったためである。この年に藤堂|高猷《たかゆき》夫妻は伊勢参宮をすることになっていて、五百は供の中《
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