往ったのが、向柳原《むこうやなぎはら》の藤堂家の上屋敷であった。例の考試は首尾好く済んだ。別格を以て重く用いても好いといって、懇望せられたので、諸家を廻《まわ》り草臥《くたび》れた五百は、この家に仕えることに極《き》めた。
五百はすぐに中臈《ちゅうろう》にせられて、殿様|附《づき》と定《さだ》まり、同時に奥方|祐筆《ゆうひつ》を兼ねた。殿様は伊勢国|安濃郡《あのごおり》津の城主、三十二万三千九百五十石の藤堂|和泉守《いずみのかみ》高猷《たかゆき》である。官位は従《じゅ》四位侍従になっていた。奥方は藤堂|主殿頭《とものかみ》高※[#「山/松」、第3水準1−47−81]《たかたけ》の女《むすめ》である。
この時五百はまだ十五歳であったから、尋常ならば女小姓《おんなこしょう》に取らるべきであった。それが一躍して中臈を贏《か》ち得たのは破格である。女小姓は茶、烟草《タバコ》、手水《ちょうず》などの用を弁ずるもので、今いう小間使《こまづかい》である。中臈は奥方附であると、奥方の身辺に奉仕して、種々の用事を弁ずるものである。幕府の慣例ではそれが転じて将軍附となると、妾《しょう》になったと見ても
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