《けいせん》詩集』、『遊相医話《ゆうそういわ》』などという、当時の著述を見たらわかるかも知れぬが、わたくしはまだ見るに及ばない。寿蔵碑《じゅぞうひ》には、浦賀《うらが》、大磯《おおいそ》、大山《おおやま》、日向《ひなた》、津久井《つくい》県の地名が挙げてある。大山は今の大山|町《まち》、日向は今の高部屋《たかべや》村で、どちらも大磯と同じ中郡《なかごおり》である。津久井県は今の津久井郡で相模川がこれを貫流している。桂川《かつらがわ》はこの川の上流である。
後に枳園の語った所によると、江戸を立つ時、懐中には僅に八百文の銭があったのだそうである。この銭は箱根の湯本《ゆもと》に着くと、もう遣《つか》い尽していた。そこで枳園はとりあえず按摩《あんま》をした。上下《かみしも》十六文の※[#「米+胥」、第4水準2−83−94]銭《しょせん》を獲《う》るも、なお已《や》むにまさったのである。啻《ただ》に按摩のみではない。枳園は手当り次第になんでもした。「無論内外二科《ないがいにかをろんずるなく》、或為収生《あるいはしゅうせいをなし》、或為整骨《あるいはせいこつをなし》、至于牛馬※[#「奚+隹」、第
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