永の暇になるまでには、相応に評議もあったことであろう。友人の中には、枳園を救おうとした人もあったことであろう。しかし枳園は平生|細節《さいせつ》に拘《かかわ》らぬ人なので、諸方面に対して、世にいう不義理が重なっていた。中にも一、二件の筆紙に上《のぼ》すべからざるものもある。救おうとした人も、これらの障礙《しょうがい》のために、その志を遂げることが出来なかったらしい。
 枳園は江戸で暫《しばら》く浪人生活をしていたが、とうとう負債のために、家族を引き連れて夜逃《よにげ》をした。恐らくはこの最後の策に出《い》づることをば、抽斎にも打明けなかっただろう。それは面目《めんぼく》がなかったからである。※[#「挈」の「手」に代えて「糸」、第3水準1−90−4]矩《けっく》の道を紳《しん》に書していた抽斎をさえ、度々忍びがたき目に逢《あ》わせていたからである。
 枳園は相模国をさして逃げた。これは当時三十一歳であった枳園には、もう幾人《いくたり》かの門人があって、その中《うち》に相模の人がいたのをたよって逃げたのである。この落魄《らくたく》中の精《くわ》しい経歴は、わたくしにはわからない。『桂川
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