》っていて、京水時代の静粛は痕《あと》だに留《とど》めなかった。芸者が来て酌《しゃく》をしている。森枳園が声色を使っている。抽斎は暫《しばら》く黙して一座の光景を視《み》ていたが、遂に容《かたち》を改めて主客の非礼を責めた。瑞長は大いに羞《は》じて、すぐに芸者に暇《いとま》を遣ったそうである。
引き続いて二月に、森枳園の家に奇怪な事件が生じた。枳園は阿部家を逐《お》われて、祖母、母、妻|勝《かつ》、生れて三歳の倅《せがれ》養真の四人を伴って夜逃《よにげ》をしたのである。後に枳園の自ら選んだ寿蔵碑《じゅぞうひ》には「有故失禄」と書してあるが、その故は何かというと、実に悲惨でもあり、また滑稽《こっけい》でもあった。
枳園は好劇家であった。単に好劇というだけなら、抽斎も同じ事である。しかし抽斎は俳優の技《ぎ》を、観棚《かんぽう》から望み見て楽《たのし》むに過ぎない。枳園は自らその科白《かはく》を学んだ。科白を学んで足らず、遂に舞台に登って※[#「木+邦」、87−8]子《つけ》を撃った。後にはいわゆる相中《あいちゅう》の間《あいだ》に混じて、並大名《ならびだいみょう》などに扮《ふん》し、ま
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