め抽斎は酒を飲まなかった。然るにこの年藩主がいわゆる詰越《つめこし》をすることになった。例に依《よ》って翌年江戸に帰らずに、二冬《ふたふゆ》を弘前で過すことになったのである。そこで冬になる前に、種々の防寒法を工夫して、豕《ぶた》の子を取り寄せて飼養しなどした。そのうち冬が来て、江戸で父の病むのを聞いても、帰省することが出来ぬので、抽斎は酒を飲んで悶《もん》を遣《や》った。抽斎が酒を飲み、獣肉を※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]《くら》うようになったのはこの時が始である。
しかし抽斎は生涯|煙草《タバコ》だけは喫《の》まずにしまった。允成の直系卑属は、今の保さんなどに至るまで、一人も煙草を喫まぬのだそうである。但し抽斎の次男優善は破格であった。
抽斎のまだ江戸を発せぬ前の事である。徒士町《かちまち》の池田の家で、当主|瑞長《ずいちょう》が父京水の例に倣《なら》って、春の初《はじめ》に発会式《ほっかいしき》ということをした。京水は毎年《まいねん》これを催して、門人を集《つど》えたのであった。然るに今年《ことし》抽斎が往って見ると、名は発会式と称しながら、趣は全く前日に異《ことな
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