三十一歳になった。
 ※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎の後《のち》は懐之《かいし》、字《あざな》は少卿《しょうけい》、通称は三平《さんぺい》が嗣《つ》いだ。抽斎の家族は父允成、妻徳、嫡男|恒善《つねよし》、長女|純《いと》、次男優善の五人になった。
 同じ年に森|枳園《きえん》の家でも嫡子|養真《ようしん》が生れた。
 天保七年三月二十一日に、抽斎は近習詰《きんじゅづめ》に進んだ。これまでは近習格であったのである。十一月十四日に、師池田|京水《けいすい》が五十一歳で歿した。この年抽斎は三十二歳になった。
 京水には二人の男子《なんし》があった。長を瑞長《ずいちょう》といって、これが家業を襲《つ》いだ。次を全安《ぜんあん》といって、伊沢家の女壻になった。榛軒の女《むすめ》かえに配せられたのである。後に全安は自立して本郷|弓町《ゆみちょう》に住んだ。
 天保八年正月十五日に、抽斎の長子恒善が始て藩主|信順《のぶゆき》に謁した。年|甫《はじめ》て十二である。七月十二日に、抽斎は信順に随って弘前に往った。十月二十六日に、父允成が七十四歳で歿した。この年抽斎は三十三歳になった。
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