に代って渋江の家に来た抽斎の二人目の妻威能は、世《よよ》要職におる比良野氏の当主文蔵を父に持っていた。貧家の女《じょ》に懲りて迎えた子婦《よめ》であろう。そしてこの子婦は短命ではあったが、夫の家では人々に悦《よろこ》ばれていたらしい。何故そういうかというに、後《のち》威能が亡くなり、次の三人目の妻がまた亡くなって、四人目の妻が商家から迎えられる時、威能の父文蔵は喜んで仮親になったからである。渋江氏と比良野氏との交誼《こうぎ》が、後に至るまで此《かく》の如くに久しく渝《かわ》らずにいたのを見ても、婦壻《よめむこ》の間にヂソナンスのなかったことが思い遣られる。
 比良野氏は武士|気質《かたぎ》の家であった。文蔵の父、威能の祖父であった助太郎《すけたろう》貞彦《さだひこ》は文事と武備とを併《あわ》せ有した豪傑の士である。外浜《がいひん》また嶺雪《れいせつ》と号し、安永五年に江戸藩邸の教授に挙げられた。画《え》を善くして、「外浜画巻《そとがはまがかん》」及「善知鳥《うとう》画軸」がある。剣術は群を抜いていた。壮年の頃|村正《むらまさ》作の刀《とう》を佩《お》びて、本所|割下水《わりげすい》から
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