大川端《おおかわばた》辺《あたり》までの間を彷徨《ほうこう》して辻斬《つじぎり》をした。千人斬ろうと思い立ったのだそうである。抽斎はこの事を聞くに及んで、歎息して已《や》まなかった。そして自分は医薬を以て千人を救おうという願《がん》を発《おこ》した。
 天保二年、抽斎が二十七歳の時、八月六日に長女|純《いと》が生れ、十月二日に妻威能が歿した。年は二十六で、帰《とつ》いでから僅に三年目である。十二月四日に、備後国福山の城主阿部伊予守|正寧《まさやす》の医官|岡西栄玄《おかにしえいげん》の女《じょ》徳が抽斎に嫁した。この年八月十五日に、抽斎の父允成は隠居料三人扶持を賜わった。これは従来|寧親《やすちか》信順《のぶゆき》二公にかわるがわる勤仕していたのに、六月からは兼《かね》て岩城隆喜《いわきたかひろ》の室《しつ》、信順の姉もと姫に、また八月からは信順の室|欽姫《かねひめ》に伺候することになったからであろう。
 この時抽斎の家族は父允成、妻岡西氏徳、尾島《おじま》氏|出《しゅつ》の嫡子|恒善《つねよし》、比良野氏|出《しゅつ》の長女純の四人となっていた。抽斎が三人目の妻徳を娶《めと》るに至っ
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