跡に、時代の古いものでは、「御馬印揃《おんうまじるしぞろえ》」、「御紋尽《ごもんづくし》」、「御屋敷附《おんやしきづけ》」の類が残って、それがやや形を整えた「江戸鑑《えどかがみ》」となり、「江戸鑑」は直ちに後のいわゆる「武鑑」に接続するのである。
 わたくしは現に蒐集中であるから、わたくしの「武鑑」に対する知識は日々《にちにち》変って行く。しかし今知っている限《かぎり》を言えば、馬印揃や紋尽は寛永《かんえい》中からあったが、当時のものは今|存《そん》じていない。その存じているのは後に改板《かいはん》したものである。ただ一つここに姑《しばら》く問題外として置きたいものがある。それは沼田頼輔《ぬまたらいすけ》さんが最古の「武鑑」として報告した、鎌田氏《かまだうじ》の『治代普顕記《ちたいふけんき》』中の記載である。沼田さんは西洋で特殊な史料として研究せられているエラルヂックを、我国に興そうとしているものと見えて、紋章を研究している。そしてこの目的を以て「武鑑」をあさるうちに、土佐の鎌田氏が寛永十一年の一万石以上の諸侯を記載したのを発見した。即《すなわ》ち『治代普顕記』の一節である。沼田さんは
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