によって正《ただ》すことが容易である。さて誤謬は誤謬として、記載の全体を観察すれば、徳川時代の某年某月の現在人物等を断面的に知るには、これに優《まさ》る史料はない。そこでわたくしは自ら「武鑑」を蒐集《しゅうしゅう》することに着手した。
この蒐集の間に、わたくしは「弘前医官渋江|氏《うじ》蔵書記」という朱印のある本に度々《たびたび》出逢《であ》って、中には買い入れたのもある。わたくしはこれによって弘前の官医で渋江という人が、多く「武鑑」を蔵していたということを、先《ま》ず知った。
そのうち「武鑑」というものは、いつから始まって、最も古いもので現存しているのはいつの本かという問題が生じた。それを決するには、どれだけの種類の書を「武鑑」の中《うち》に数えるかという、「武鑑」のデフィニションを極《き》めて掛からなくてはならない。
それにはわたくしは『足利《あしかが》武鑑』、『織田《おだ》武鑑』、『豊臣《とよとみ》武鑑』というような、後の人のレコンストリュクションによって作られた書を最初に除く。次に『群書類従《ぐんしょるいじゅう》』にあるような分限帳《ぶんげんちょう》の類を除く。そうすると
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