幸にわたくしに謄写《とうしゃ》を許したから、わたくしは近いうちにこの記載を精検しようと思っている。
 そんなら今に※[#「二点しんにょう+台」、第3水準1−92−53]《いた》るまでに、わたくしの見た最古の「武鑑」乃至《ないし》その類書は何かというと、それは正保《しょうほう》二年に作った江戸の「屋敷附」である。これは殆《ほとん》ど完全に保存せられた板本《はんぽん》で、末《すえ》に正保四年と刻してある。ただ題号を刻した紙が失われたので、恣《ほしいまま》に命じた名が表紙に書いてある。この本が正保四年と刻してあっても、実は正保二年に作ったものだという証拠は、巻中に数カ条あるが、試みにその一つを言えば、正保二年十二月二日に歿《ぼっ》した細川三斎《ほそかわさんさい》が三斎老として挙げてあって、またその第《やしき》を諸邸宅のオリアンタションのために引合《ひきあい》に出してある事である。この本は東京帝国大学図書館にある。

   その四

 わたくしはこの正保二年に出来て、四年に上梓《じょうし》せられた「屋敷附」より古い「武鑑」の類書を見たことがない。降《くだ》って慶安《けいあん》中の「紋尽《もんづ
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