づめ》になっていた。しかし隠居|附《づき》にせられて、主《おも》に柳島《やなぎしま》にあった信順《のぶゆき》の館《やかた》へ出仕することになっていた。父|允成《ただしげ》が致仕《ちし》して、家督相続をしてから十九年、母|岩田氏《いわたうじ》縫《ぬい》を喪《うしな》ってから十二年、父を失ってから四年になっている。三度目の妻|岡西氏《おかにしうじ》徳《とく》と長男|恒善《つねよし》、長女|純《いと》、二男|優善《やすよし》とが家族で、五人暮しである。主人が三十七、妻が三十二、長男が十六、長女が十一、二男が七つである。邸《やしき》は神田《かんだ》弁慶橋《べんけいばし》にあった。知行《ちぎょう》は三百石である。しかし抽斎は心を潜めて古代の医書を読むことが好《すき》で、技《わざ》を售《う》ろうという念がないから、知行より外《ほか》の収入は殆《ほとん》どなかっただろう。ただ津軽家の秘方《ひほう》一粒金丹《いちりゅうきんたん》というものを製して売ることを許されていたので、若干《そこばく》の利益はあった。
抽斎は自《みずか》ら奉ずること極めて薄い人であった。酒は全く飲まなかったが、四年前に先代の藩主
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