宜敷様|可致候《いたすべくそろ》。先《まず》は右|申入《もうしいれ》候。」田原町とは勝四郎に亜《つ》ぐ二番弟子勝治郎の家をいったのである。勝治郎は昨今病のために引き籠《こも》って、杵勝同窓会をも脱《ぬ》けている。
 勝四郎の返事には、好意はありがたいが、何分これまでの行懸《ゆきがかり》上単身では出向かれぬといって来た。そこで十造、勝助の二人《ふたり》が森田町へ迎えに往《ゆ》くことになった。
 馬喰町の家では、この日|通夜《つうや》のために、亡人《なきひと》の親戚を始《はじめ》として、男女の名取が皆集まっていた。勝久は浜町の師匠と女師匠とに請うに、亡人に代って勝四郎を免《ゆる》すことを以てした。浜町の師匠は亡人の姉ふさ、女師匠は三十六歳で未亡人となった亡人の妻みつである。二人の女は許諾した。そこへ勝四郎は出向いて来て、勝三郎の木位《もくい》を拝し、綫香《せんこう》を手向《たむ》けた。勝四郎は木位の前を退いて男女の名取に挨拶《あいさつ》した。葛藤は此《ここ》に全く解けた。これが明治三十六年勝久が五十七歳の時の事で、勝久は始終病を力《つと》めてこの調停の衝に当ったのである。勝久が病の本復したのはこの年の十二月である。
 杵勝同窓会はこれより後|※[#「目+癸」、第4水準2−82−11]乖《けいかい》の根を絶って、男名取中からは名を勝五郎と更《あらた》めた勝四郎が推されて幹事となり、女名取中からは勝久が推されて同じく幹事となっている。勝四郎の名は今飯田町住の五番弟子が襲《つ》いでいる。一番弟子勝四郎|改《あらため》勝五郎、二番勝治郎、三番|勝松《かつまつ》改勝右衛門、四番|勝吉《かつきち》改勝太郎、五番勝四郎、六番勝之助改和吉である。
 二世勝三郎の花菱院《かりょういん》が三年忌には、男女名取が梵鐘《ぼんしょう》一箇を西福寺に寄附した。七年忌には金百円、幕|一帳《ひとはり》男女名取中、葡萄鼠縮緬幕《ぶどうねずみちりめんまく》女名取中、大額|並《ならびに》黒絽夢想袷羽織《くろろむそうあわせばおり》勝久門弟中、十三年忌が三世の七年忌を繰り上げて併《あわ》せ修せられたときには、木魚《もくぎょ》一対《いっつい》墓前|花立《はなたて》並綫香立男女名取中、十七年忌には蓮華形皿《れんげがたさら》十三枚男女名取中の寄附があった。また三世勝三郎の蓮生院《れんしょういん》が三年忌には経箱《きょ
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