浴することが出来ずに、母に対しては頗《すこぶ》る自ら抑遜《よくそん》していなくてはならなかった。
これに反して抽斎は陸を愛撫《あいぶ》して、身辺におらせて使役しつつ、或時五百にこういった。「己《おれ》はこんなに丈夫だから、どうもお前よりは長く生きていそうだ。それだから今の内に、こうして陸を為込《しこ》んで置いて、お前に先へ死なれた時、この子を女房代りにするつもりだ。」
陸はまた兄矢島優善にも愛せられた。塩田良三もまた陸を愛する一人《いちにん》で、陸が手習をする時、手を把《と》って書かせなどした。抽斎が或日陸の清書を見て、「良三さんのお清書が旨《うま》く出来たな」といって揶揄《からか》ったことがある。
陸は小さい時から長歌《ながうた》が好《すき》で、寒夜に裏庭の築山《つきやま》の上に登って、独り寒声《かんごえ》の修行をした。
その八十六
抽斎の四女陸はこの家庭に生長して、当時なおその境遇に甘んじ、毫《ごう》も婚嫁を急ぐ念がなかった。それゆえかつて一たび飯田|寅之丞《とらのじょう》に嫁せんことを勧めたものもあったが、事が調《ととの》わなかった。寅之丞は当時近習小姓であった。天保十三年|壬寅《じんいん》に生れたからの名である。即ち今の飯田|巽《たつみ》さんで、巽の字は明治二年|己巳《きし》に二十八になったという意味で選んだのだそうである。陸との縁談は媒《なこうど》が先方に告げずに渋江氏に勧めたのではなかろうが、余り古い事なので巽さんは已《すで》に忘れているらしい。然るにこの度は陸が遂に文一郎の聘《へい》を却《しりぞ》くることが出来なくなった。
文一郎は最初の妻|柳《りゅう》が江戸を去ることを欲せぬので、一人の子を附けて里方へ還して置いて弘前へ立った。弘前に来た直後に、文一郎は二度目の妻を娶《めと》ったが、いまだ幾《いくばく》ならぬにこれを去った。この女は西村与三郎の女《むすめ》作であった。次で箱館から帰った頃からであろう、陸を娶ろうと思い立って、人を遣《つかわ》して請うこと数度に及んだ。しかし渋江氏では輒《すなわ》ち動かなかった。陸には旧に依《よ》って婚嫁を急ぐ念がない。五百は文一郎の好人物なることを熟知していたが、これを壻にすることをば望まなかった。こういう事情の下《もと》に、両家の間にはやや久しく緊張した関係が続いていた。
文一郎は壮年の時パッシ
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