の夫|飯田良清《いいだよしきよ》の養子孫三郎は、この年江戸が東京と改称した後《のち》、静岡藩に赴いて官吏になった。
森|枳園《きえん》はこの年七月に東京から福山に遷《うつ》った。当時の藩主は文久元年に伊予守|正教《まさのり》の後《のち》を承《う》けた阿部《あべ》主計頭《かぞえのかみ》正方《まさかた》であった。
優善の友塩田|良三《りょうさん》はこの年|浦和《うらわ》県の官吏になった。これより先良三は、優善が山田|椿庭《ちんてい》の塾に入《い》ったのと殆《ほとん》ど同時に、伊沢柏軒の塾に入《い》って、柏軒にその才の雋鋭《しゅんえい》なるを認められ、節《せつ》を折って書を読んだ。文久三年に柏軒が歿してからは家に帰っていて、今|仕宦《しかん》したのである。
この年|箱館《はこだて》に拠《よ》っている榎本武揚《えのもとたけあき》を攻めんがために、官軍が発向する中に、福山藩の兵が参加していた。伊沢榛軒の嗣子|棠軒《とうけん》はこれに従って北に赴いた。そして渋江氏を富田新町に訪《と》うた。棠軒は福山藩から一粒金丹《いちりゅうきんたん》を買うことを託せられていたので、この任を果たす傍《かたわら》、故旧の安否を問うたのである。棠軒、名は信淳《しんじゅん》、通称は春安《しゅんあん》、池田|全安《ぜんあん》が離別せられた後《のち》に、榛軒の女《じょ》かえの壻となったのである。かえは後に名をそのと更《あらた》めた。おそのさんは現存者で、市谷《いちがや》富久町《とみひさちょう》の伊沢|徳《めぐむ》さんの許《もと》にいる。徳さんは棠軒の嫡子である。
抽斎歿後の第十一年は明治二年である。抽斎の四女|陸《くが》が矢川文一郎に嫁したのは、この年九月十五日である。
陸が生れた弘化四年には、三女|棠《とう》がまだ三歳で、母の懐《ふところ》を離れなかったので、陸は生れ降《お》ちるとすぐに、小柳町《こやなぎちょう》の大工の棟梁《とうりょう》新八というものの家へ里子《さとこ》に遣《や》られた。さて嘉永四年に棠が七歳で亡くなったので、母五百が五歳の陸を呼び返そうとすると、偶《たまたま》矢島氏鉄が来たのを抱いて寝なくてはならなくなって、陸を還すことを見あわせた。翌五年にようよう還った陸は、色の白い、愛らしい六歳の少女であった。しかし五百の胸をば棠を惜《おし》む情が全く占めていたので、陸は十分に母の愛に
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