しめた。
目見は此《かく》の如く世の人に重視せられる習《ならい》であったから、この栄を荷《にな》うものは多くの費用を弁ぜなくてはならなかった。津軽家では一カ年間に返済すべしという条件を附して、金三両を貸したが、抽斎は主家の好意を喜びつつも、殆《ほとん》どこれを何の費《ついえ》に充《あ》てようかと思い惑った。
目見をしたものは、先ず盛宴を開くのが例になっていた。そしてこれに招くべき賓客《ひんかく》の数《すう》もほぼ定まっていた。然るに抽斎の居宅には多く客《かく》を延《ひ》くべき広間がないので、新築しなくてはならなかった。五百《いお》の兄忠兵衛が来て、三十両の見積《みつもり》を以て建築に着手した。抽斎は銭穀《せんこく》の事に疎《うと》いことを自知していたので、商人たる忠兵衛の言うがままに、これに経営を一任した。しかし忠兵衛は大家《たいけ》の若檀那《わかだんな》上《あが》りで、金を擲《なげう》つことにこそ長じていたが、※[#「革+斤」、第3水準1−93−77]《おし》んでこれを使うことを解せなかった。工事いまだ半《なかば》ならざるに、費す所は既に百数十両に及んだ。
平生《へいぜい》金銭に無頓着《むとんじゃく》であった抽斎も、これには頗る当惑して、鋸《のこぎり》の音|槌《つち》の響のする中で、顔色《がんしょく》は次第に蒼《あお》くなるばかりであった。五百は初《はじめ》から兄の指図を危《あやぶ》みつつ見ていたが、この時夫に向っていった。
「わたくしがこう申すと、ひどく出過ぎた口をきくようではございますが、御《ご》一代に幾度《いくたび》というおめでたい事のある中で、金銭の事位で御心配なさるのを、黙って見ていることは出来ませぬ。どうぞ費用の事はわたくしにお任せなすって下さいまし。」
抽斎は目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》った。「お前そんな事を言うが、何百両という金は容易に調達《ちょうだつ》せられるものではない。お前は何か当《あて》があってそういうのか。」
五百はにっこり笑った。「はい。幾らわたくしが痴《おろか》でも、当なしには申しませぬ。」
その三十九
五百《いお》は女中に書状を持たせて、ほど近い質屋へ遣《や》った。即ち市野迷庵の跡の家である。彼《か》の今に至るまで石に彫《え》られずにある松崎|慊堂《こうどう》の文にいう如く、迷庵は柳原
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