つて見ても、大時計が時間を誤つたことはない。それが若しや時間を誤ることがあらうかなんぞと云ふことは、只それを思つたばかりでも怪《け》しからん次第だと、たつたこなひだまで市民一同が信じてゐた。
大時計と同じ事で、市中にある丈の置時計や懐中時計も決して時間を誤ることはない。世界中どこを尋ねても、このスピイスブルク程誰でも時間を好く知つてゐる所はない。大時計が、「正午だ」と云ふと、市民一同口を開けて、谺響《こだま》のやうに「正午だ」と答へる。要するに市民は麦酒樽漬のキヤベツが好なことは無論であるが、彼等の大時計に対する自慢は又格別である。
一体名誉職を持つてゐる人は、誰だつて尊敬せられるに極まつてゐる。だから一番結構な名誉職を持つてゐる大時計の番人が尊敬せられることは論を待たない。番人は市の大役人である。菜園に飼つてある豚でさへ、此人を見るには目を側《そばだ》てて見る。番人の上着の裾は誰のよりも余程長い。煙管も、沓の金物も、目玉も誰のよりも大きい。腹は誰のよりもふくらんでゐる。そこで腮はどうかと云ふと、外の人のは二重《ふたへ》だが、此人のは立派に三重《みへ》になつてゐる。
こゝまで己は
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