養女で、実は妻の姪《めい》である。この后《きさき》は久しい間病気でいられたのに、厨子王の守本尊を借りて拝むと、すぐに拭《ぬぐ》うように本復《ほんぷく》せられた。
師実は厨子王に還俗させて、自分で冠《かんむり》を加えた。同時に正氏が謫所《たくしょ》へ、赦免状《しゃめんじょう》を持たせて、安否を問いに使いをやった。しかしこの使いが往ったとき、正氏はもう死んでいた。元服して正道と名のっている厨子王は、身のやつれるほど歎《なげ》いた。
その年の秋の除目《じもく》に正道は丹後の国守にせられた。これは遙授《ようじゅ》の官で、任国には自分で往かずに、掾《じよう》をおいて治めさせるのである。しかし国守は最初の政《まつりごと》として、丹後一国で人の売り買いを禁じた。そこで山椒大夫もことごとく奴婢を解放して、給料を払うことにした。大夫が家では一時それを大きい損失のように思ったが、このときから農作も工匠《たくみ》の業《わざ》も前に増して盛んになって、一族はいよいよ富み栄えた。国守の恩人曇猛律師は僧都《そうず》にせられ、国守の姉をいたわった小萩は故郷へ還《かえ》された。安寿が亡きあとはねんごろに弔《とむら
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