にするに至らなかつたのは、わたくしの最も遺憾とする所である。
わたくしは新石町の菓子商眞志屋が文政の末から衰運に向つて、一たび二本傳次に寄り、又轉じて金澤丹後に寄つて僅に自ら支へたことを記した。眞志屋は衰へて二本に寄り、二本が眞志屋と倶《とも》に衰へて又金澤に寄つたと云ふ此金澤は、そもそもどう云ふ家であらう。
わたくしが此「壽阿彌の手紙」を新聞に公にするのを見て、或日金澤|蒼夫《さうふ》と云ふ人がわたくしに音信を通じた。わたくしは蒼夫さんを白金臺町の家に訪うて交を結んだ。蒼夫さんは最後の金澤丹後で、祖父明了軒以來西村氏の後を承け、眞志屋五郎兵衞の名義を以て水戸家に菓子を調進した人である。
初めわたくしは澀江抽齋傳中の壽阿彌の事蹟を補ふに、其|尺牘《せきどく》一則を以てしようとした。然るに料《はか》らずも物語は物語を生んで、斷えむと欲しては又續き、此《こゝ》に金澤氏に説き及ぼさざることを得ざるに至つた。わたくしは此最後の丹後、眞志屋の鑑札を佩《お》びて維新前まで水戸邸の門を潜つた最後の丹後をまのあたり見て、これを緘默《かんもく》に附するに忍びぬからである。
二十七
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