十三日」で、並《ならび》に橋場長照寺に葬られた。日觀の俗名は別本に小林彌右衞門と註してある。然るに了蓮の祖母知性の母幽妙の下にも、別本に小林彌右衞門妻の註がある。此二箇所に見えてゐる小林彌右衞門は同人であらうか、又は父子襲名であらうか。又定生の外祖母と稱するものも別本に見えてゐる。「貞圓妙達|比丘尼《びくに》、天明七年|丁未《ていび》八月十一日」と書し、深川佐賀町一向宗と註してあるものが即《すなはち》是《これ》である。
了蓮と定生との關係、清久の名を其間に厠《まじ》へた理由は、過去帳別本の記載に由つて明にすることが出來ない。師岡氏未亡人は或はわたくしに教へてくれるであらうか。
わたくしが光照院の墓の文字を讀んでゐるうちに、日は漸《やうや》く暮れむとした。わたくしのために香華を墓に供へた媼《おうな》は、「蝋燭《らうそく》を點《とぼ》してまゐりませうか」と云つた。「なに、もう濟んだから好《い》い」と云つて、わたくしは光照院を辭した。しかし江間、長島の親戚關係は、到底墓表と過去帳とに藉《よ》つて、明め得べきものでは無かつた。壽阿彌の母、壽阿彌の妹、壽阿彌の妹の夫の誰たるを審《つまびらか》
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