町醫であつたのである。
わたくしの眞志屋文書より獲《え》た所の繼承順序は、概《おほむ》ね此《かく》の如きに過ぎない。今にして壽阿彌の手紙を顧《かへりみ》ればその所謂《いはゆる》「愚姪《ぐてつ》」は壽阿彌に家人株《けにんかぶ》を買つて貰つた鈴木、師岡、乃至《ないし》山崎ではなくて、眞志屋十二代清常であつた。鈴木、師岡は伊澤の刀自や師岡未亡人の言《こと》の如く、壽阿彌の妹の子であらう。山崎は稍《やゝ》疑はしい。案ずるに偶然師岡氏と同稱であつた山崎は、某代五郎作の實兄で、鈴木と師岡とは義兄としてこれを遇してゐたのではなからうか。清常に至つては壽阿彌がこれを謂つて姪《てつ》となす所以《ゆゑん》を審《つまびらか》にすることが出來ない。
二十三
わたくしは師岡未亡人に、壽阿彌の妹の子が二人共|蒔繪《まきゑ》をしたことを聞いた。しかし先づ蒔繪を學んだのは兄鈴木で、師岡は鈴木の傍《かたはら》にあつてその爲《な》す所に傚《なら》つたのださうである。
わたくしは又伊澤の刀自に、其父|榛軒《しんけん》が壽阿彌の姪《をひ》をして櫛《くし》に蒔繪せしめたことを聞いた。此蒔繪師の號はすゐさいで
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