。
眞志屋文書に文化以後の書留と覺しき一册子があるが、惜むらくはその載する所の沙汰書《さたしよ》、伺書《うかがひしよ》、願書《ねがひしよ》等には多く年月日が闕《か》けてゐる。
此等の文に據るに、家道衰微の原因として、表向申し立ててあるのは火災である。「類燒後御菓子製所大破に相成」云々と云つてある。此火災は壽阿彌の手紙にある「類燒」と同一で、文政十年の出來事であつたのだらう。
さて二本傳次の同居人であつた當時の眞志屋五郎兵衞は、病に依つて二本氏の族人をして家を嗣《つ》がしめたらしい。年月日を闕《か》いた願書に、「願之上親類麹町二本傳次方江同居仕御用向|無滯《とゞこほりなく》相勤候處、當夏中より中風相煩歩行相成兼其上|甥《をひ》鎌作《かまさく》儀病身に付(中略)右傳次方私從弟定五郎と申者江跡式相續|爲仕度《つかまつらせたく》(中略)奉願候、尤《もつとも》從弟儀|未《いまだ》若年に御座候に付右傳次儀後見仕」云々と云つてある。署名者は眞志屋五郎兵衞、二本傳次の二人である。此願は定て聞き屆けられたであらう。
しかし十二代清常と此定五郎との接續が不明である。中風になつた五郎兵衞が二十歳で歿
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