「愚姪方」になつたのだらうと云ふ推測は出て來るのである。
壽阿彌は若《も》し此火事に姪の家が燒けたら、自分は無宿になる筈であつたと云つてゐる。「難澁之段|愁訴可仕《しうそつかまつるべき》水府も、先達而《せんだつて》丸燒故難澁申出候處無之、無宿に成候筈」云々《うんぬん》と云つてゐる。これは此手紙の中の難句で、句讀《くとう》次第でどうにも讀み得られるが、わたくしは水府もの下で切つて、丸燒は前年七月の眞志屋の丸燒を斥《さ》すものとしたい。既に一たび丸燒のために救助を仰いだ水戸家に、再び愁訴することは出來ぬと云ふ意味だとしたい。なぜと云ふに丸燒故の下で切ると、水府が丸燒になつたことになる。當時の水戸家は上屋敷が小石川門外、中屋敷が本郷追分、目白の二箇所、下屋敷が永代新田《えいたいしんでん》、小梅村の二箇所で、此等は火事に逢つてゐないやうである。壽阿彌が水戸家の用達《ようたし》商人であつたことは、諸書に載せてある通りである。
壽阿彌の手紙には、多町《たちやう》の火事の條下に、一の奇聞が載せてある。此《こゝ》に其全文を擧げる。「永富町《ながとみちやう》と申候處の銅物屋《かなものや》大釜《おほが
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