かを知らぬので、二三の友人に問ひ合せたが明答を得なかつた。そこで※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂は誰《たれ》かわからぬと書いた。
さうすると早速其人は駿河《するが》の桑原※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂であらうと云つて、友人|賀古鶴所《がこつるど》さんの許《もと》に報じてくれた人がある。それは二宮孤松《にのみやこしよう》さんである。二宮氏は五山堂詩話の中の詩を記憶してゐたのである。
わたくしは書庫から五山堂詩話を出して見た。五山は其詩話の正篇に於《おい》て、一たび※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂を説いて詩二首を擧げ、再び説いて、又四首を擧げ、後補遺に於て、三たび説いて一首を擧げてゐる。詩の采録《さいろく》を經たるもの通計七首である。そして最初にかう云ふ人物評が下してある。「公圭書法嫻雅《こうけいしよはふはかんが》、兼善音律《かねておんりつをよくす》、其人温厚謙恪《そのひとはをんこうけんかく》、一望而知爲君子《いちばうしてくんしたるをしる》」と云ふのである。公圭は※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]堂の
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