これがわたくしの雲嶺の石野氏なることを知つた始である。後にわたくしは拙堂文集を讀んでふと「皆梅園記」を見出だした。齋藤拙堂はかう云つてゐる。「老人姓石氏《らうじんのせいはせきし》。本爲市井人《もとしせいじんたり》。住藤枝驛《ふぢえだえきにすむ》。風流温藉《ふうりうにしてをんせき》。以善詩聞於江湖上《しをよくするをもつてこうこのうえにきこゆ》。庚子歳余東征《かのえねのとしよとうせいす》。過憩驛亭相見《すぎてえきていにいこひあひまみゆ》。間晤半日《かんごはんじつ》。知其名不虚《そのなのきよならざるをしる》。爾來毎門下生往來過驛《じらいもんかせいのわうらいしてえきをすぐるごとに》。輙囑訪老人《すなはちしよくしてらうじんをとはしめ》。得其近作以覽觀焉《そのきんさくをえてもつてらんくわんす》。去年夏余復東征《きよねんなつよまたとうせいす》。宿驛亭《えきていにしゆくし》。首問老人近状《はじめにらうじんのきんじやうをとふ》。驛吏曰《えきりいはく》。數年前辭市務《すうねんぜんしむをじし》。老於孤山下村《ひとりやましたむらにおゆと》。余即往訪之《よすなはちゆきてこれをとふ》。從驛中左折數武《えきちゆうよりさせつしてすうぶ》。槐花滿地《くわいくわちにみつ》。既覺非尋常行蹊《すでにしてじんじやうのかうけいにあらざるをさとる》。竹籬茅屋間《ちくりばうをくのかん》。得門而入《もんをえている》。老人大喜《らうじんおほいによろこぶ》。迎飮於其舍《むかへられてそのしやにいんす》。園數畝《えんすうほ》。經營位置甚工《けいえいのゐちはなはだたくみなり》。皆出老人之意匠《みならうじんのいしやうにいづ》。有菅神廟林仙祠《くわんしんべうりんせんしあり》。各奉祀其主《おのおのそのしゆをほうしす》。有賜春館《ししゆんくわんあり》。傍植東叡王府所賜之梅《かたはらにとうえいわうふたまふところのうめをうう》。其他皆以梅爲名《そのほかみなうめをもつてなとなす》。有小香國鶴避茶寮鶯逕戞玉泉等勝《せうかうこくかくひされうあうけいかつぎよくせんとうのしようあり》。前對巖田洞雲二山《まへはがんでんどううんにざんにたいし》。風煙可愛《ふうえんあいすべく》。使人徘徊賞之《ひとをしてはいくわいしこれをしやうせしむ》。」庚子《かうし》は天保十一年で、拙堂は藤堂|高猷《たかゆき》に扈隨《こずゐ》して津から江戸に赴《おもむ》いたのであらう
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