|弗《どる》を支払うことが三つである。この処置のためには、藩主は自ら大阪に来べきであったが病気のため家老を名代として派遣したのである。
深尾に附いて来た下横目は六番、八番両歩兵隊の士卒七十三人を、一人ずつ呼び出して堺で射撃したか、射撃しなかったかと訊問した。この訊問が殆《ほとん》ど士卒の勇怯《ゆうきょう》を試みると同じ事になったのは、人の弱点の然らしむるところで、実に已《や》むことを得ない。射撃したと答えたものが二十九人ある。六番隊では隊長|箕浦猪之吉《みのうらいのきち》、小頭池上弥三吉、兵卒杉本広五郎、勝賀瀬三六《しょうがせさんろく》、山本哲助、森本茂吉、北代《きただい》健助、稲田|貫之丞《かんのじょう》、柳瀬常七、橋詰愛平《はしづめあいへい》、岡崎栄兵衛、川谷《かわたに》銀太郎、岡崎多四郎、水野万之助、岸田勘平、門田|鷹太郎《たかたろう》、楠瀬《くすせ》保次郎、八番隊では隊長西村左平次、小頭大石甚吉、兵卒竹内民五郎、横田辰五郎、土居徳太郎、金田時治、武内弥三郎、栄田《さかえだ》次右衛門、中城|惇五郎《じゅんごろう》、横田静次郎、田丸勇六郎である。射撃しなかったと答えたものは六番隊
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